お葬式には「人の死」が関わるため、どうしてもイメージが暗くなりがちです。確かに愛する人がこの世からいなくなり、永遠に会えなくなってしまうのですから、悲しいですよね?暗く、どんよりとした空気がお葬式には漂いがちです。
お葬式で大切なことは、故人への気持ちをしっかりと伝えることです。「今までありがとう」「おいしかった」「たのしかった」「またいっしょに飲みに行きたかった」「またいっしょに勝負したかった」などなど、お葬式の場には、「悲しい」以外にもたくさんの「愛」や「気持ち」が漂い、そしていつしかお葬式の雰囲気の中に溶けていきます。仏式であろうと、神式であろうと、はたまたキリスト式であろうと、参列者の「気持ち」が場を作っていくのです。
愛と気持ち。お葬式にはさまざまな感情があると思いますが、やはりこの感情そのものがお葬式の雰囲気を作っているのだと思います。感情という目に見えない、そして手で触れることのできないものは、場の空気を構成する要素になります。もちろん「香り」「音」「光」などの要素も、我々の感受性を刺激します。
我々は、葬儀などで過度に感受性を刺激されるとナーバスになり、普段通りに行動することができなくなります。
現在、インターネットには、ひじょうにありがたいことに、お通夜や葬儀の際の挨拶の仕方や香典の表書きの書き方など、葬儀に関するたくさんの情報があふれています。葬儀は結婚式ほど頻繁に出席する祭礼ではないこともあり、なかなか作法が身につかないものです。
ただ、これらのウェブサイトを見て、香典の金額や焼香の作法などは分かっても、お悔やみを述べるときの「気の持ちよう」、そして立ち振る舞いについては、それ程書かれていません。いや、書かれていないと言うよりは、気持ちが高ぶってしまうと、たとえ練習を繰り返していたとしても、なかなか本当の気持ちを伝えられなくなってしまうのです。難しいですよね。
でも、それは多くの人に共通することです。個人的には、気持ちが高ぶってしまい、言葉が出てこないのであれば、なんとかがんばって一礼だけすればいいと考えています。遺族、故人、そして参列される方には必ず通じます。
葬儀の形は最近、だんだん変わってきているようです。依然として仏式の葬儀が、日本で行われている葬儀の9割を占めます。しかし、以前は夜通し行われていた「お通夜」も、現在では2時間程度で終わる式になりました。かつての「お通夜」は、家族、そして近い人たちだけが集まって、故人に思いを馳せる。そんな時間を共有することが目的でした。現在の「お通夜」は、一般の方が多く参列するようになりました。
以前の形の「お通夜」では、家族は棺に寄り添い、ろうそくや線香の日を絶やさずに夜が明けるまで過ごしました。お線香の香り、畳の匂い、時よりどこからか聞こえてくる虫の声、天井を時折照らす通りがかりの車のヘッドライト…そして、またどこからか故人の元気な声が聞こえてくるのではないかなどと想像しつつ、故人が何事もなく天国へとたどり着けるかどうか考える。朝の太陽はどのように目に映るのだろう?
これは人によって違うと思いますが、いろいろな思いを巡らせることには、皆、違いがないのではないでしょうか。あれ?「天国」はキリスト教の概念ですかね…
でも、こうして故人に思いを馳せる時間というのは、実は貴重だったのではないかと思うのです。もちろん葬儀には故人の遺志が反映される場合もあり、故人の遺志で「お金はかけないように葬儀をしてくれ」と言われている場合もあるでしょう。また、金銭的な理由で葬儀を質素にせざるを得ない場合もあるでしょう。いずれにしても、日本で行われている葬儀の形は、昔とはだいぶ変わってきています。
一昔前のお通夜の形は、いろいろな事情があって、現在主流の半通夜の形になりました。自宅ではなく斎場で葬儀のすべてを行うことが増えていて、そういった施設では消防法の関係があり、一晩中、お線香やろうそくの火を絶やさずにいること自体がかなり難しくなっているという事情があります。何か「冷たさ」というか、「大人の事情」を感じますが、安全のためでしょうから仕方がないですね。
そもそも葬儀を行う遺族の意向を無視できるはずがありません。最近はフリースタイルの葬儀(自由葬)というものに脚光が当たっていますが、質素な葬式や家族葬で済ませたいという遺族からの要望は多いようです。葬儀の形が変わっていくことについて「何か人間の心が冷たくなっているのでは?」などとは言えないのです。
仏式の葬儀は簡略化されてきていますが、現在、各葬儀社はそれぞれ、さまざまな葬儀パッケージを販売していて、かなり細かく葬儀のやり方をチョイスできるようになっています。
1日目に半通夜を行い、2日目に葬儀式と告別式を行うのが、一般的な仏式葬儀です。しかし、ここ最近はお通夜を行わずに葬儀式と告別式、火葬を1日で済ませる「一日葬」も数多く行われているようです。
そもそも、日本の葬儀に決まった形はありません。ただし、遺体は亡くなった時間から24時間が経過しないと火葬することができないと法律で定められています。そのため、お通夜は行わなくても、ご遺体を自宅などに安置する必要があります。また、お通夜はありませんが、告別式前には親族の手で故人が旅に出る準備を整えてあげる必要があります。
自由葬とは、無宗教葬儀とも呼ばれる、何か特定の宗教や作法に則って行われるものではない、新たな葬儀の形です。自由葬は故人が生前から望んでいる場合ももちろんありますが、遺族が生前の言動などから思い出して希望する場合もあります。
家族だけで小規模のお葬式を行った後に、お世話になった友人や知人を交えて「お別れ会」を開きたいという方も多い様です。芸能人やプロスポーツ選手など、著名人の多くがこのスタイルでお葬式を行っています。
「お別れ会」という形で故人を偲ぶ。有意義な時間だと思います。故人を愛し、故人に感謝の心を持つ人々が同じ時間を共有する。なんと美しい一時でしょう。
皆様は自由葬というと、どのような葬儀を思い浮かべますか?最近、よく耳にするのは「音楽葬」でしょうか?故人の好きだった音楽が響く空間でのお葬式。故人の趣味がフィーチャーされたお葬式。パーティー形式。いろいろありますが、やはり十人十色。10人いれば、それぞれのための個性的な葬儀がある。これが近い将来の葬儀の形かもしれません。
私の義理の母(兄嫁の母)がなくなった際は、「音楽葬」で故人を送ったそうです。ビートルズの「Twist and Shout」他の楽曲を演奏したのは子供たちと孫たち。音楽一家だったこともあり、最高の形で故人への思いを届けられたのではないかと思います。
しかし、長期入院の末に亡くなった方などの場合、家族としても尋ねることが気の毒で、故人の遺志を確認できなかったということはよくあることのようです。また、特にお年寄りの中には、「しきたりに則らない葬儀をすることなど受け入れられない」という人も少なくありません。故人の遺志であったとしても、このような問題が発生することはよくあります。
自由葬を行う際には、意外とまわりからの反発があるので、できれば故人が存命の内から親族と話をしておいた方がいいかもしれませんね。
もし、故人の意思確認のできぬまま葬儀を開くことになったら、あなたはどうしますか?
宗教にとらわれない、自由なスタイルで行うお葬式が「自由葬」ですが、最近は火葬後の埋葬方法についてもよく語られています。
たとえば釣りが好きだった故人が、よく訪れていた防波堤に「散骨」して欲しいという遺書を残していたとしましょう。その遺言通りに、その防波堤に「散骨」してあげたい気持ちは山々ですが、実はこの日本では、どこでも散骨していいわけではありません。
そもそも、日本で散骨することは、法律上「グレーゾーン」です。故人の遺志ですから何とかしてあげたいものですが、防波堤は公共、もしくは私有地である可能性が高いと考えられます。所有者の許可を得られない限り、散骨することは難しいでしょう。いくら遺言とは言え、法に反することはできません。この場合はセカンドベストを考える必要がありますね…
私が考える、この場合のセカンドベストは、この防波堤沖の海に散骨することです。自治体により、事実上、散骨を禁止する条例を定めているところがありますので、このような自治体の場合はこの手も使えません。しかし、海での散骨はほとんどの場所で可能で、散骨のための定期船を運航している業者まであるほどです。
散骨を行うためにはルールというかマナーがあります。まず、遺骨は粉末状にしなければなりません。この作業は専門の業者が引き受けてくれます。また、散骨の際には、他の人に「葬式」を連想させる、「喪服を着る」などの行為をしてはいけません。
「目立たず、粛々と」
これが日本における散骨の現状です。
日本の人口は高齢化し、身寄りのないまま亡くなる人、そして経済的に困窮し、身内の葬儀もあげられないという人々がたくさんいます。悲しいことですが、これが日本の現状なのです。故人の遺志で葬式や埋葬方法が選べる人は幸せなのかもしれません。
シンプルな葬儀や散骨は、現在も、そして今後も選択肢として残り続けるでしょう。散骨に関しては、速やかに法制化されることを期待したいところです。散骨の場合、墓標はありませんが、たとえば海に散骨した場合、その海域に行けば、いつでも故人に会える。そんな気持ちになれるでしょう。
お葬式に参列する際、故人への愛や思いを伝えることは大切なことですが、遺族の気持ちを考えることは同等に大切なことです。
葬儀にともなう一連の式典は、遺族の方々にとって、大切な人を失った悲しみ、ショックが癒える間もなく行わなければなりません。故人や遺族との関係次第ですが、訃報を受け取った際の対応については、一番に遺族の感情を考えることが大切です。
故人や遺族とひじょうに近い関係であれば、すぐに駆けつけましょう。何か手伝えることがないか尋ね、指示に従いましょう。遺族に寄り添い、気持ちを考えてあげれば、おのずと正しい行動に結びつくはずです。
葬儀では、もっとも悲しみにくれている遺族が、もっとも忙しい思いをするのです。もしかしたら、この事実がもっとも悲しいことなのかもしれません。
遺族は悲しみの中にいます。そして式典の準備に奔走しているため、多忙で、そして疲れています。この2点は必ず頭に入れて行動するようにしましょう。
一昔前はお通夜が朝まで行われていたため、遺族にとっては、故人と共に過ごす時間が多くありました。これは単に一緒にいる時間が長かったと言うだけではなく、故人のこと、葬儀のこと、その後のこと、また「無事にご先祖様に会えるかどうか」など、さまざまなことに思いを巡らせる時間でもありました。遺族にとっては、もちろん忙しい最中ではあったはずですが、夜が明けるまで、たとえ数時間であっても、思いあふれる瞬間を過ごせたはずです。
今の時代の求めとは言え、遺族にとって、そうした時間が少なくなっていることには、少し寂しさを感じます。
お葬式には「悲しい」「たいへん」「忙しい」などのイメージがあります。人の死がなければお葬式は行われないわけで、たしかにお葬式は「悲しい」ものです。
でも、お葬式という一連の式典中、必ずそこにあるものは、故人を思う参列者の「気持ち」であり、遺族を思う参列者の「気持ち」です。
お葬式の雰囲気はこうした気持ちとお線香やろうそくの匂い、光など、さまざまな要素が混じり合って作られます。
そう、お葬式というのは「好き」という気持ちや、「ありがとう」という気持ちが最大限に詰まった空間なのです。人間の人生最後のビッグイベントであるお葬式は「愛と感謝」でできているのです。